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シュバルツバルトな毎日

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2007年 02月 18日

拡声器のある風景

こんなにいい天気が続いているのに昨日は一歩も外に出なかった。だから、今日は一度は出ようと、どうせ出るなら隣町Villingenまでバスで行って明日の食料でも買ってこようと。VillingenはRottweilと並んでここら辺ではFasnetの古い歴史を持っているから、そんなのも観られるかと思って。

多分昨日からいろいろFasnetの行事が始まっています。それで、街の中心に大きなスピーカーが設置されていたんです。

拡声器のある風景_a0207111_6254569.jpg
写真が悪いですが、かなり重量感のある拡声器でこの柱はこのスピーカーだけのために立っています。僕はこれを観たときに、多分だれも共感してくれないけど、ドイツ人の潜在的なアイデンチチーを感じたのです。
拡声器のある風景_a0207111_6253462.jpg
この写真は1940年のもので...といわれても何の違和感もないでしょう。街の中心にある十字路のど真ん中にあって、四方に伸びる通りに向けて4つの拡声器が口を開いています。街の隅々まで情報を周知徹底するには実に理にかなった設置場所、設置方法です。
拡声器のある風景_a0207111_6252344.jpg
今日はブラスバンドの行進の合間に、ここからドイツの演歌みたいなものを流していました。しかし、この風景はどこか戦前戦中のドイツにありそうな風景だなぁと。
拡声器のある風景_a0207111_6245770.jpg
この拡声器から、
Achtung! Achtung!
なんて大きな甲高い男の声が鳴り響いたら... 特定の人種からの非買運動や思想統制の文句が流れたら...
僕がここで言いたいのは過去の善悪ではなくて、ちょうど映画「シンドラーのリスト」の時代というものが、どこか別の世界の話でなく、実際ここドイツという土地で起きたんだということを、この拡声器を見たときにふと感じたのです。もしこれらの写真を見て、あの重い時代の風景と何かしらがダブって見えたら、その部分が、あの悲惨な大戦を経験してもなお排除できない(排除する必要はない)、時代の流れに依然しないドイツ人の骨身に染みた何かだと僕は感じたのです。

同じテーマでもうひとつ。この写真をみてください。
拡声器のある風景_a0207111_624244.jpg
これはFurtwangenの時計学校が学校紹介のパンフレットを新しくするということで撮った一枚です。ちなみに僕も別の写真で被写体になりまして、新しいパンフレットに載ってます。まぁ、それはいい。
見て欲しいのは、この3人の不自然な格好。これは自然とこうなったのではありません。僕もこの撮影のとき見てたから知ってます。先生がこういうポーズを3人に要求したのです。「ひとつのものを複数人が凝視する」というポーズです。僕はこのときふと次の写真が頭に浮かびました。
拡声器のある風景_a0207111_6241071.jpg
これは社会科の教科書にあった写真で、右から3人目がまぁ当時の指導者ですね、誰とは言いませんが。
どうでしょ、なんだか写真の印象に共通するものを感じませんか。そしてこういう「不自然なほどにみんなが一点に注目する図」というのはあまり日本人の発想にないと思うんです。下の写真の場合注目しいる物がある特定の人物、上は工作機械で、写真のテーマとしてはまったく違います。しかしその表現方法に強い類似性を見て取れます。そういう表現方法というか美意識みたいな価値観に、時の流れによらない彼らの強い一貫性を感じるのです。
再度いいますが、過去の歴史について書きたいのではありません。それからこれらの写真から僕が感じるかれらのアイデンチチーを排除すべきだといいたいのでもありません。彼らが大変な歴史を経験してもなお無意識の世界に住み着いて離れない彼らの「癖」を感じたのでそれを今日書きたかったのです。

by furtwangen | 2007-02-18 07:15 | マイスター学校@Schwenningen


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